著書「さびしすぎてレズ風俗に行きました」を幸せに導くカウンセラー目線で…
私が最近通っているスタジオは、ラブホテルの前にあり、そこはデリヘルが利用しやすいようで、常時、お迎えの車が5台〜10台程停まっている。
こんなに利用者がいるだと横目に見ていた、、流れで、「レズ風俗」に目が止まる。
レズ用デリヘルがあることを知った。
本文を読み進めふと、ただただ、、エロが好きーとか、純粋にレズビアンとして楽しみたいとは、やっぱり違った。
タイトルからも見えるが「さびしすぎる」という感情。
自己承認感の低さがもたらす弊害でしかない。
そして、その原因は、母親への依存心の強さであり、大人になりたくない、母親から離れたくない、ずっと抱きしめられていたい。
なぜなら、1人では不安、自分は人として足りていない、人には迷惑かける、いつも出来ない、無理、無価値…
だから、母親にいてほしい。
病気になれば、仕事にいけない、家族に心配してもらえる、元気になったら言い訳できない…
拒食症、過食症、うつ病、自虐、脱毛。。
ストレス社会の今、多かれ少なかれ、何かしらこの筆者の感情に同調する人が多いのだろうと察する。
驚いたのは、日本以外の他の国で大きな話題になったという事。
メンタルの問題は世界中に及ぶ。
と、まぁ、前置きはここまでとして、
本題である「風俗ルポ」に踏み込んで行きます。
結果、人とのコミュニケーションが出来ずに悩む筆者が、実は人と肌を合わせることSEXする事とは大変高度な“コミュニケーション”である事に気付かされます。
母親以外の人間のおっぱいを触りたい誰かに抱きしめられたい抱きしめたいと願いその“願い”の為にお金を払うのに いざその瞬間になると緊張で現実味が得られません。
女性同士とは言え初めてのSEXで相手のお姉さん甘えたり心を開けないでいた事を申し訳ないと感じつつそれでも筆者は“ありがとう”とさえ思ってしまいます。
確かに筆者の行為は極端かもしれませんがこうした「清水の舞台から飛び降りる」感情は誰しもが持っているものではないでしょうか。
例えばこんな自分が嫌だから長い髪をうんと短く切った
この町は辛いから海外に飛び出した高所恐怖症を克服したくってバンジージャンプに挑戦した。
周囲の誰にも分からなくともその“はじめの一歩”を踏み出した本人だけには大きな一歩として自分の中に残るのだと思うのです。
実際筆者へは「風俗なんかに行かないで恋人を作る努力でもしろ」。
そんな意見も大変多かったようです。
ですが性的接触をしたいだけで恋人を作るそれは愛情がないまま結婚をした自分の母親と同じになるのだと筆者は気付かされます。
タイトルのインパクトで、興味を持ってしまいますが、自分の心と性とに正面から向き合った女性の勇敢な体験であり、この経験を赤裸々に本に書き綴り、自己承認感を持つことができた。今、自信を持って作家として生きている。
それが世界中の人の心に変化をもたらせる力へと。
どんな経験、体験も、克服することも、誰かの勇気になるんだという事を思い知る。
レズ風俗は、存在して、今日もどこかで誰かが癒されている。
LEAVE A REPLY