著書「夫のちんぽが入らない」から学ぶ新しい夫婦の形
私は日頃、相談されることが多いけれど、
「入らないんですけど…」と言われたことはない。
「入れたくないんです」とか
「やりたくありません」ということはままある。
それは、『心理的理由』であり、基本「挿入」ありきの相談なのだ。
そんな時、この本のタイトルを見てぶっ飛んだ。
えっ なに?
読み進めて明らかだったのは、心理的、精神的ではなく、『物理的』にムリ。 と言うこと。
風俗の間では「キング」と呼ばれるほど、デカイ! ようだ。
私は、入らないほど、どデカい物の経験も、
受け入れられない器でもない(たぶん)ので、
想像がつかないが…
冒頭からこんな文面が綴られる
いきなりだが、夫のちんぽが入らない。
本気で言っている。交際期間も含めて二十余年、この「ちんぽが入らない」問題は、
私たちをじわじわと苦しめてきた。
周囲の人間に話したことはない。
こんなこと軽々しく言えやしない。
何も知らない母は「結婚して何年も経つのに子供ができないのはおかしい。
一度病院で診てもらいなさい。
そういう夫婦は珍しくないし、 恥ずかしいことじゃないんだから」と言う。
けれど、私は「ちんぽが入らないのです」と嘆く夫婦をいまだかつて見たことがない。
医師は私に言うのだろうか。「ちんぽが入らない?
奥さん、よくあることですよ」と。
そんなことを相談するくらいなら、押し黙ったまま老いていきたい。
子供もいらない。
ちんぽが入らない私たちは、兄妹のように、
あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ。(「夫のちんぽが入らない」本文より抜粋)
セックスレスの夫婦はよく聞くけれど、交際期間も含めて20年以上、しかも一度もできない。
文中には、相当頑張る様が描かれているが、毎日、メリメリと裂けて流血騒ぎを繰り返す。
「でん、ででん、でん。まるで陰部を拳で叩かれているような振動が続いた」
↑
けれど軽いこんな一文。
それでもこれが原因で2人の関係はゆるがないということ。
困難だと抱えつつも、人生を共にするという気持ちは変わらないことが2人の絆の深さだと感じる。
ちんぽが入らなければ、子どもを作ることもできない。
結婚をすると、当然のように「子どもは?」という言葉をかけられるようになる。
「欲しいけど、なかなかできない」という話は聞くが「欲しいけど、入らないから……」という理由があるとは。
不妊治療をしている友人の苦しい話しはよく聞くが、さらに特殊であり、「入らない問題」以外にも病気ということも抱えていたため、人工授精などの方法で子どもをもうけることも、断念している。
母親が、義実家へ孫ができないことを謝罪しに行くときのことが描かれているが、「うちの子の身体が弱いために、お宅の跡継ぎを産んであげることができず、
本当に申し訳ありません。うちの子は、とんだ欠陥商品でして。
貧乏くじを引かせてしまい、なんとお詫びをしてよいか」と言う。
母親から「欠陥商品」と言われる娘も傷つくだろうが、口にしているお母さんも、同じくらい傷ついているのではないか……。
少なくとも、私が母親なら娘の前で、こんな事は言わないけれど、世の中、自分がつらくなり、傷つく言葉を連呼する人が多いので、あることなんだろう。
必死にもがきながら生きているのでであれば、ひたむきさに共鳴し、涙することになるだろう。
『夫のちんぽが入らない』というタイトルだけでこの本に興味を持った私は、考えさせられることが多かった。
生きていく中で避けては通れない事は、どんな人の人生にもある。
子どもを持つ・持たないという意識の違いや、不妊などの体質により、離婚をする夫婦もある。
少なくとも私は子どもはいるが離婚している。
人生に立ちはだかった「入らない」という問題。
この問題はパートナーを変えて、解決することもできた。が夫と共に生きることを選んだ。
結婚している夫婦はセックスするのが当たり前、妻は子どもを産むのが当たり前……。
そんな「当たり前」が、人によって違うんだと。
世間様のイメージ通りに生きることに縛られず、人の数だけ人生があり、 夫婦の数だけ夫婦の形があっていい。
そもそも、なんのためのセックスか。
この夫婦は、各々別の人としている。
それでも夫婦は円満。
夫の浮気だ、妻の不倫だ、と騒ぎ、離婚に発展するのと何が違うのか。
愛を確かめ合うもの
快楽のもの、
欲求を満たすもの、
安らぎを感じるもの、
子どもを作るもの…
できるから発生する問題。
できないから分かり合えたこと。
今後は、夫の浮気問題、夫婦の悩み相談を受けた時の、心の持ち方、アドバイスなど、これを読んで変わったと確信する。
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